引き続き佐野研二郎さんの騒動に「グレーゾーンの創造性」について学ぶ
こんにちは。部員のくまです。
前回、『佐野研二郎さんの会見で、デザインの勉強をさせてもらったことと気づいたことまとめ』というエントリーで佐野さんの会見動画を見た感想を書きました。
今後、デザイン的なことも押さえなおそうといろいろ勉強しなおしているタイミングでこの騒動が起こったので、おおこれは一流のデザイナーさんの手の内を知ることができる!と飛びつき、実際いろいろと勉強させてもらいました。
日本人として誇りに思ってこの仕事をやったとの発言や、過去のデザインや先輩デザイナーへの敬意も感じられ、自分としてはこれで鎮火の方向に行くだろうと思ってましたが、その後もトートバッグで謝罪する騒ぎにまで発展し、今なお燃え広がっているという感じです。
自分はウェブ制作者なのでグラフィックデザイン(しかも牽引する立場のデザイナーさんの)についてあれこれ言える立場でもないのですが、片足突っ込んだままだと何となく心地が悪いので、今回このエントリーを書いてもう片方も突っ込んでおこうと思います。
この騒動を眺めながら思ったことは、デザインや創作に携わったことのある人とそうでない人で捉え方が違うんだなぁ、ということが大きかったのです。その中でも、
- 模倣や著作権法のグレーゾーンの広さと創造性の関係
- 良いデザインって何なのか(次回書きます)
ということを考えさせられたので、大きくその2点について、自分用のメモとしても残しておこうかなぁと思います。
ネット上ではオリンピック委員会やデザイン業界の組織的な問題も指摘されてるようですが、そこはこのブログのテーマと合わないので省きます。
模倣や著作権法のグレーゾーンの広さと創造性の関係
トートバッグの件ではいくつか問題が指摘されたデザインがありましたが、法的な要因と職業倫理的な要因が混在する中で、法的にNGと思われるものが取り下げられたようです。
法的なことについてはこちらの記事が参考になりました。
記事によると、「BEACH」の件は、作風から何から何までそのまんまコピーされているので法的にアウトの可能性が高いとのこと。
フランスパンのものは、元の写真の著作権が認められる可能性が高いのでこれも法的にアウトではないかとのこと。
水に浮く女性については、一部加工されてはいるものの、ベースの構図やテイストはかなり同じなので、これもたぶんアウトだろうとのこと。
たぶんこの記事では、法的に上から順にアウト率が高いということだと思うのですが、もし自分が佐野さんの立場だったら3つ目が一番痛いと思います。
「水に浮く女性」の絶妙な脱力感、浮遊感は、なかなかオリジナルで生み出すには才能が必要だろうなぁと思うほど素敵な作品で、実際、評価のあるデザイナーさんの作品のようです。そういう「おいしい部分」をわかった上でトレースしたとなると、自分たちがやったこととはいえ、トップクリエイターとしてのプライドが傷つくだろうなぁと思います(実作業はアシスタントさんとのことですが)。
ということで、少し話しそれましたが、法的な問題、職業倫理的な問題、そしてトップクリエイターだからこその問題が混在しているような気がします。そして冷静に考えると、あくまでもトートバッグの不正に関して佐野さんがバッシングされている一番大きな理由は、「トップクリエイター(の事務所)なのにそんなことをした」ということではないかと思います。
なぜなら法的に引っかかる問題から倫理的な問題まで、模倣は身の回りにありふれているけど、けっこうスルーされていることも多いからです。
例えば、どこかの企業が研究開発費や時間を投入してヒットさせた商品も、その後模倣され安価でスーパーや百均にあたりまえのように並んでいたりします。そして私たちもその恩恵を受けていたりします。
先日行われていたコミケも大きな経済効果があったと言われていますが、たぶん二次創作物もかなり貢献しているのではないでしょうか。
そして私たちウェブ制作者も、前を走るクリエイターの作品を参考にさせてもらうことが多々あります、というか、何も参考にせずに作るということはまずありません。
ただし先のトートバッグの例のように著作権がクリアになってない画像を無断で使ったり、作品のテイストから構図まですべてそのまま使うことはありません。必ず自分なりの何かが加わります。人のつくったものをそのまんまパクるのはつくり手としてなんか悔しいという理由もありますし、ウェブの場合はクライアントさんの個性をデザインに落とし込んだら必然的に変わってくる、ということがあります。
ともかく制作者は、法的、倫理的に、ここまではOKここから先はNGということを、それぞれ自分の心の中で探りながら作業しているんじゃないかと思います。
(追記:誤解のないように書き足しておくと、何かを参考にするのは模倣ではなく正当な制作手順であることのほうが多いと思いますが、上記では「グレーゾーン」に関わりそうな部分だけ取り上げています。)
これ以外にも模倣について考え出すときりがなくなります。例えば父親が聴いてる演歌を横で聴いてると、オリジナリティのある名曲も多いけど、けっこう量産型演歌と言っていいんじゃないかという「型」にはまりきった曲も多いです。萌え絵なども、最初に誰かがそれらしいのを描いたのをみんなで模倣しあいながらブラッシュアップしてああいった「型」が完成したのではないかと思います。
ということで、「模倣」のグレーゾーン、著作権法の親告罪(今のところ)というグレーゾーンは何かを生み出す土壌なんだなぁということを思います。そしてそのグレーから生まれてきた爆発的に面白かったりします。例えばキアヌリーヴスのコラなんかは肖像権的な問題もありそうですが、わりとみんな躊躇なく楽しんだりしています。拾った画像をSNSのアイコンに使ったりするのもグレーだったりすると思うのですが、ネット上ではそのへんお互い寛大に、けっこう楽しくやってたりします。
ちょっと話それましたが、そういった理由で創作に携わったことのある人はこの騒動に考えさせられることが多かったんじゃないかと思います。例えばエンブレムに関しては同情的な意見が多かったのも、制作過程をある程度想像できたり、こういった現状を身近に感じているからではないでしょうか。創作に携わったことのある人とそうでない人で捉え方が違うのはそういった理由ではないかなぁと思います。
自分としては、「クロ」にしたほうがいいグレーゾーンと、グレーのままにしておいたほうがいいグレーゾーンの両方がありそうな気がするのですが、その線引きはすごく難しいです。今回のように、トップを走る人とそれ以外ではデザインのオリジナリティに対する責任は違ってきそうだし、さっきのキアヌのコラでも、もしこれが全くの素人がネタにされてたとすると笑えない話になりそうです。たぶん二次創作の世界でも(TPPによる非親告罪化の話はおいといて)、原作への敬意がある場合と、原作への冒涜が感じられる場合で変わってくるのかなぁと思います。
まとまりのない文章になってしまいましたが、むりやりまとめると、
「クロにしたほうがいいグレーもあるけど、生み出す土壌としてある程度のグレーは残しておいたほうがいいのではないか」
というのが自分なりの結論でした。
いや、思いのほか難しい話で、片足突っ込んだことをちょっと後悔しています。
長くなったので「良いデザイン」について考えたことは次回書こうと思います。